人間学

無宗教化してしまった日本人

私の祖父母は熱心な日蓮宗の信者でした。
子供の頃に長い時間、お経を読んでいる祖父母の声を
よく聞いたものです。

けど、その当時の私は宗教というものを
あまり良く思っていなかった。

幼稚園や小学生の頃は、
正月になるとお寺に行って
お坊さんの長いお経を聞かなければいけなくて
それが嫌だったというのもある。

そもそも宗教に根ざした教えのようなものが
日常の中になかったので、生活に密接していなかったし、
祖父母も両親も教えてはくれなかった。

その後、オウム真理教の地下鉄サリン事件などもあり、
宗教は、カルト集団のように

「あやしいもの」
「あまり触れてはいけないもの」

という間違った認識をずっと私は持っていました。

これは、戦後の教育の中で
戦前に教えられてきた日本人としての心や
生活の中で守るべきことを
教えられなかったことに起因すると思う。

自分の両親も終戦直後に生まれた世代だから
GHQによって、いろんなことが制限され、
ある種のレールをひかれた教育を受けてきた世代。

だからこそ、
神道や宗教、祖父母が尊く感じていた天皇陛下に関して
よいイメージを私に伝えてこなかった。

しかし、今になって神道や宗教を
しっかり理解する必要があるのではと感じている。
日本人としてだけではなく、
人間というものを理解するために宗教を理解する必要がある。

だって、何千年も伝えられ、
人に根ざしているものなのだから。

こんな心境の変化が生まれたのは、
失敗を機に、自分に向き合うために
体験してみた「座禅」にあります。

そして、ご縁があって知り合いになった
九州の大先輩が「神道」に通じていたこともあります。

このきっかけで、禅の本や神道の本を読み、
このような教えや考え方、日本人の心の原点に触れたこなかったから、
自分と向き合ってこなかったから、
自分本位の人になってしまったんだなぁ
そして、失敗したんだなぁと反省しました。

そこから、宗教に興味を持ち、
いまは、

哲学と宗教全史(出口治明著 ダイヤモンド社)

を読んでいる最中です。
全部で464ページもある本なので、
まだ半分くらいですが、ものすごく世界観が変わりました。

哲学と宗教全史

キリスト教やイスラーム教、ユダヤ教は
セム的一神教といい、
それぞれの宗教が唯一の神「YHWH」を
同じように神として崇めている

同じ神を崇めていたとしても
成り立った時代背景によって
教えの成り立ちや伝わり方が違っている

それぞれの宗教が他の宗教がうまくやっていること
(布教のために成功している事例)を
参考にしあって、自分の宗教の中に取り込んでいる

仏教もそうだか、各宗教が教えの捉え方の違いによって
さまざまな教えに分かれていること

教団の勢力争いや根本となる教えの違いによって
争いが起きていること
また、アメリカ大統領選挙の共和党・民主党の争いの根底にも
カトリックとプロテスタントの教義の違いがあること

などなど、
学校の授業で学んだことや自分自身が持っていた知識は
「点」でしかなかったけど、
その時代時代には人間が住んでいて
現代と同じようにお互いが関わり合い影響しあって
時代を作っていたことを念頭に宗教や哲学をみていくと、
発見がたくさんある。

いま、この本を読み進めながら
「聖書」や「クルアーン」をちゃんと読んでみたいなと
思っています。

その前に、生誕150周年になり、
西洋世界に「禅」を広めた鈴木大拙先生の
禅に関する本を読もうと思っていますが。。。

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